トピックス(55)にて取り上げた岡山県津山市での「再開発事業破たん」事例は、その後二十数年が経過した現在でも強い「説得力」を持ち続けているため、引続き「続編」として事実関係を中心に全国の地権者の皆さまへ詳細情報をお伝えすることとします。
さて津山市で「再開発事業破たん」の根本原因となった「巨大再開発ビル」の建設工事は96年に始まり99年に竣工、同年に開業しています。実はこの期間はもとより、ビルの開業後も数年にわたり、現地にて調査・取材を行った方が身近におられることがわかり、私たちはこの方から更なる情報の提供を頂くことが出来ました。
実は多くの地権者が再開発計画に反対していた!
前トピックスでは、津山の再開発事業失敗の原因はバブル崩壊と言う大きな経済変革が起きていたにも関わらず、デベロッパーがあたかも何ごともなかったかのように強引に事業を進め、更に組合役員や一般地権者など関係者の多くまでもがデベロッパー側の甘い説明を鵜呑みにしてしまったこと。そしてその結果、街の規模にそぐわない身の丈を超えた贅沢で巨大な再開発ビルが建設されたため、保留床を処分することが困難となり、組合が大きな損失を出してしまったことにあると記しました。
しかし、津山ではすべての地権者がデベロッパーやコンサルの「甘い話」を鵜呑みにしてしまったと言う訳ではなく、実際には一定数の地権者が最後まで再開発計画に納得せず反対していたことがわかりました。
これら「良識ある」地権者の方々は、組合設立・事業計画決定の段階で、新聞に意見広告を載せるなどして反対の意思を表明したそうですが、デベロッパー側(及び津山市)は強引にこれを押し切り再開発を強行してしまいました。
しかし、このことが逆に思わぬ事態を招くことになります。
地権者の意見を無視して再開発が強行されたことを不服としてなんと地権者の7割にあたる55名が「権利変換」を選択せずに「転出」することを決断したのです。
地権者の離脱(転出)で再開発破たんが更に加速
デベロッパー側も、まさかこれほど多くの地権者が「転出」することは思っていなかったようです。当時77名いた地権者のうち、転出者が続出した結果、権利変換に応じたのはたったの22名。
このことは再開発ビルでの「権利床」の減少をもたらし、その分「保留床」が増加することを意味します。身の丈を超えた巨大な再開発ビルを建設したため、ただでさえ保留床の処分が難しくなっていたところへ、地権者の集団転出で「保留床」が更に増加したのですから組合側にとっては致命的でした。
このような状況下で再開発組合は徐々に資金繰りが困難となって行き、事実上の倒産状態へと追い込まれて行くことになりました。
皮肉にも再開発に疑問を抱いた地権者の離脱が再開発事業の破たんを加速させることになったのです。
「地権者の支持が得られぬ再開発」がたどり着いた当然の結末だと言えます。
再開発に賛同した地権者たちは地獄を見た!
「第1種市街地再開発事業」というのは再開発組合員(=地権者)が共同で事業リスクを負う形の事業です。地権者が事業リスクを負うのですから当然そこには経済原則が働きます。
再開発を進めてはみたものの、「結果として損失が生じてしまった」場合、地権者がその責任を負うことになります。「都市再開発法第39条」でもそのことがはっきりと明記されています。
トピックス(55)でも報じたとおり、損失の穴埋めに市が公的資金を投入する事態となったことから、当然の事ながら再開発に応じた組合員(=地権者)も全員が権利変換で受け取った権利床を賦課金として供出させられることになったのです。
複数の地権者が自己破産を余儀なくされたのですから、取り立ては極めて過酷であったことが容易に想像できます。
この津山市における再開発破たん事例は
地権者が共同でリスクを負う再開発事業の恐ろしさが露呈した事例として皆さまも是非ともご記憶ください。
津山の教訓
そもそも再開発は地権者が自らの発意と合意に基づき進めて行く街づくりです。ましてや「第1種再開発事業」は組合員(=地権者)が共同で事業リスクを負う形の事業ですから、業者任せにすることなく地権者が主体性を持って進めなければなりません。
そう考えると、津山で7割もの地権者が再開発には賛同せずに「転出」して行ったことの不自然さが浮き彫りになって来ます。その様な再開発は本来進めるべきではなかったのです。
しかし津山では強引にこれが実行されてしまいました。
「地権者の支持が得られぬ再開発」が強行された結果、破たんと言う最悪の事態を迎えるに至ったのです。
津山の事例から私たちが学んだ一つの教訓は、再開発はデベロッパーが主導権を握り、一方的に進めるべき事業ではないと言う点です。
津山の事業者は地権者へ巧みに「甘い言葉」を投げかけ、事業者側の説明を「鵜呑み」にさせ、見せかけの「地権者の合意形成」を演出して自らの意のままに再開発を推し進めようとしました。
残念ながら、今も多くの再開発の現場から、「地権者の意思とは関係なく、デベロッパー主導で再開発計画が一方的に進められている」と言う声を多く耳にします。
さて、皆さまの地域の再開発計画は大丈夫でしょうか?
もしかしたら、津山と同じような形で再開発が進められようとしているのではないでしょうか?
立石の裁判事例(詳しくは(54)理事が準備組合を訴えた!をご参照下さい)で明らかになったように、もし事業者側が虚偽の「地権者同意」まで作っていたとすれば大問題です。
地権者がデベロッパーやコンサルの説明をそのまま鵜呑みにしてしまうと思わぬ落とし穴にはまる懸念があることを、津山市の「調査特別委員会報告」は明らかにしました。
私たちもこの事実を「他山の石」として重く受け止める必要があります。
繰り返しになりますが、現在、泉岳寺をはじめ全国の多くの再開発計画において実施されようとしている「第一市街地再開発事業」は、(再開発事業者ではなく)地権者が共同でリスクを負担する事業です。
従い、もし見通しを誤り事業に損失が生じれば、地権者の責任はまぬがれず、最悪の場合、「資産」はもちろんのこと、「平和な市民生活」まで失うリスクが生じます。
「再開発は、地権者が不動産を手放す対価として現金を受け取る一般の「不動産売買」とは異なり、不動産を原資に不透明な開発事業に投資させられる一種のギャンブル」だと言い切る地権者もいるほどです。
しかし、だからと言ってやみくもにこれを怖がる必要はありません。
地権者たるもの、自らの「リスク」と「責任」を充分認識した上で、再開発の全体像を皆が「理解」し、それに「納得」するのであれば、理想的な再開発が実現できる可能性はあります。
一方で、もしこれを怠れば地獄を見ることになりかねません。
迷っている間は決して再開発には同意しないことです。
一定数の地権者が同意をしない限り、再開発が進むことはないからです。
そして地獄を見ないためには地権者一人一人が日頃から自発的に再開発について勉強し、積極的に意見を主張し、そして行動することが何よりも重要です。
もし地権者が再開発事業者側の話を鵜呑みにして「彼らに任せておけば持ち出し無しで新築の床が貰える」などと楽観的にお考えでしたら、その様な考えはきっぱりと捨て去ってください。
地権者による「無知」、「無関心」、そして「業者任せ」は致命的となるからです。
後日、「こんな筈ではなかった」と後悔することだけは何としても避けたいものです!
【編集後記】
*再開発ビルのその後…
再開発ビルが開業して2年後の2001年に現地を取材されたと言う方が、私たちの身近におられましたので話をお伺いしました。豪華で巨大な再開発ビルのキーテナントには地方百貨店の「天満屋」が入居したそうですが、驚くことに百貨店の顔とも言える1階正面入り口は「ファッション」や「化粧品」売り場ではなく「食品売り場」となっており、毎日の閉店間際には食品の投げ売りまで行われていたそうです。同じく1階には「開店準備中」と記されたコーナーがあり、調べてみたら喫茶店が撤退後の空きスペースだった由。二階・三階と上の階へ上がるにつれ人はまばらになって行き、四階の洋風飲食コーナーには夕食時間帯にも殆ど人が入っていない状態。4階より上は図書館や文化ホールといった公共施設となっていたそうですが、文化ホールに関しては、その方が取材に行かれた月の稼働率は僅か6日程度であった由。
場所が岡山県にあるため、私たち東京の人間は現在の様子を見に行くことができませんが、ネットで検索した限りでは当該再開発ビルには今も「天満屋」がキーテナントとして入居中で、ビル全体としてもなんとか存続している様子でしたので安心しました。
今後、機会があれば是非とも現地を訪問してみたいものです。
*津山市ってどこかで聞いた覚えありませんか?
再開発事業との関係は全くありませんが、津山と言えば、あの横溝正史の小説「八つ墓村」のモチーフとなった集落があったことで有名です。今から約80年前に発生した猟銃と日本刀で30人が次々と殺された猟奇事件の現場となったその集落は、再開発ビルから北へ12kmの場所に位置しています。日本中を揺るがせた大量殺人と言えば27人の犠牲者を出したオウム真理教事件が記憶に新しいのですが、津山事件はこれを上回る30人の犠牲者を出しました。
さて、津山市の再開発事業の破たんに話が戻りますが、ここでは死者こそ出なかったものの、多くの地権者が犠牲になったと言う意味では、こちらも再開発の歴史上、将来にわたり記憶され続けるべき大事件だと言えるのではないでしょうか?
【参考資料】
NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会議・月間「区画・再開発通信」327号、377号。