泉岳寺の再開発区域内には「泉岳寺前児童遊園」と言う名の港区立の公園があります。
住友不動産がこの公園を潰し、そこへ高層オフィスビルと地権者用マンションを建設しようと計画していることが明らかとなって以来、事態を危惧した近隣住民が「移設に反対する会」を立ち上げ、公園を他所へ移設すれば子供の安全が脅やかされることになるとして600名の反対署名を集め港区長へ移設反対の嘆願書を提出しています。港区側も「区民の声として重く受け止める」と回答していることから、もはや反対意見を無視して移設を決定することは難しい状況となっています。(詳しくは(17)公園移設反対運動(その1)及び(18)公園移設反対運動(その2)をご参照下さい)
さて、前置きが長くなりましたが、この公園には上述の「子供の安全上の問題」を理由とする移設反対運動以外にも、もう一つ移設すべきでない理由があります。
それはこの公園の敷地には貴重な歴史が秘められていると言う理由からです。
江戸幕府末期の1866年から明治にかけての数年間、この地には外国の要人を招き入れた「高輪接遇所」が置かれていたのです。
「接遇所」というのは外国要人のための宿舎兼応接所です。今風の言葉に置き換えれば「ホテル併設の国際会議場」と言うことになるのでしょうか?
「高輪接遇所」はたしかに「接遇所」として利用されていましたが、同時にそこは密かに「イギリス公使館」が設けられていた場所でもあったのです!
「東禅寺事件」や「イギリス公使館焼き討ち事件」以降、攘夷派による襲撃を恐れたイギリスは、実はこの地で秘密裏に公使館を開設していたのです。
それが今の「泉岳寺前児童遊園」の場所なのです。
当時のイギリス人は命がけだった
時は幕末。1853年にペリーが黒船で来航して間もなく、江戸幕府は朝廷の勅許なしに外国に対して門戸を開き、以後頻繁に外国人が日本へやって来るようになります。しかし、これを快く思わない一部の藩士たちにより各地で「尊皇攘夷」運動が勃発します。
「尊皇攘夷」と言うのは、「天皇を尊重し、外国人を追放しようとする考え方」で、各地で外国人を狙った襲撃事件が頻繁に発生するようになります。
イギリス政府関係者も標的とされ、多大な被害を受けました。
イギリスは当初、高輪・東禅寺に公使館を構えていましたが、1861年と1862年の2度にわたり攘夷派の武士らにより襲撃を受け、多数の死傷者を出します(東禅寺事件)。翌1863年には「イギリス公使館焼き打ち事件」まで起きます。
このようにイギリス公使館が置かれた場所はたびたび尊王攘夷派の武士らにより襲撃を受けたため、何度か引っ越しを余儀なくされた後、1866年に現在の泉岳寺前児童遊園の敷地にて公使館を開設したのです。もちろん、攘夷派による襲撃を避けるため「イギリス公使館」の名称は一切使わず、正式名称を「高輪接遇所」として開館したのです。
(注:もちろん「接遇所」としても使われていました)
あの「高輪談判」の地としても有名
泉岳寺前児童遊園の敷地内に建てられた「高輪接遇所」は、1869年に当時の列強5カ国(英、仏、米、独、伊)を交えて行われた「高輪談判」の地としても歴史に刻まれています。
開国当時に幕府が諸外国と結んだ条約により、わが国の金(gold)が大量に流出して行きました。その結果、国内では貨幣が不足し、贋金や低質の貨幣が流通し、大幅なインフレが発生したのです。
これに困った明治政府は、列強五カ国と「高輪接遇所」にて対策を協議したのです。これが「高輪談判」と言われる会談で、そこでわが国の近代貨幣制度の導入が決まり、造幣局が設置されるきっかけともなりました。(因みに、日本側からは岩倉具視、大隈重信らが出席し、伊藤博文がこれを補佐した由)
その記念すべき「高輪談判」が行われた場所が今の泉岳寺前児童遊園の敷地なのです。
世間で泉岳寺と言えば「赤穂浪士」や「忠臣蔵」で有名な寺を連想しますが、実は「泉岳寺前児童遊園」の敷地も、泉岳寺と同様に極めて歴史的価値の高い場所なのです。
その公園を潰し、民間企業がその土地の上に高層ビルを建てようとするのですから、もし港区が公園移設の検討を正式に始めれば、区民から反対運動の機運が高まるかも知れません。
事業者側はこの件をどう説明してきたのか?
住友不動産は日頃から「歴史や文化に配慮した街づくり」を標榜しています。ですから再開発を推進するにあたり、当然地権者へも公園の歴史についての説明があって然るべきです。
しかし残念ながら、私たちの周りからは説明があったとの話は聞こえて来ません。
2年半前に地権者を集めて彼らが行った全体説明会でもそのような話はありませんでした。
まさか大手再開発業者が「公園の歴史を知らなかった」とは思えません。
「歴史や文化に配慮した街づくり」を標榜する企業が、一方で説明会まで開催しながらその事実を「地権者へ伝えていなかった」とすれば残念です。
歴史的価値の高い場所であることが公になれば、地権者だけでなく区民からも新たな議論が起きかねないことを危惧していたのでしょうか?
もしそれが事実だとすれば、ここでも彼らの「地権者に対して、良い話はするが悪い話はしたがらない」と言う残念な事例がまた一つ増えることになります。
地権者が「個人」や「法人」であれば、地権者数も限られているため、事業者は「ぜひ一度お話を…」と彼らが得意とする個別交渉を通じて口説きにかかることもできるかもしれませんが、相手が「区民」となればこの手法は通用しません。
区民を納得させるだけの正当な事由を公の場で説明する必要が生じます。
いずれにしても、泉岳寺前児童遊園は港区民のものであり、既に多くの区民が移設に反対していることから、再開発は簡単には進みそうにありません。